古典芸能への招待「野晒悟助」
3月末に録画していたけれど、ずっと見る時間が取れず、ようやく見ることができました。
土曜日の昼下がり、部屋を片付けたあとにごろごろしながら、三味線の音をバックに歌舞伎鑑賞できるなんて、幸せの極みです。
2018年6月の歌舞伎座で上演。
主演は尾上菊五郎。
初めて見る演目で、「野晒悟助」がまず読めない。
のざらしごすけって読むみたいですね。
野ざらしとは、主人公である悟助の職業が「葬儀屋」ということに由来してるそうです。
野ざらしになってるドクロから来てる言葉だそうです。
悟助は、一休宗純に育てられた人物で、暴れん坊だったため俗世に戻されたという設定。元坊主だったこともあり葬儀屋を営んでいる男伊達。
この物語、男伊達と呼ばれるキャラクター設定の人物が3人出てくるのですが、私はこの「男伊達」というものが、未だによくわからない。
弱きを助け強きを挫く、平たく言えば、かっこいい男ってことなんですが、現代にこの概念が当てはまるちょうどイイものがなく、頭では理解できていても、いまいちしっくり来ていない。
姿形が良いという意味ではなく(いや、もちろん姿形もいいのですが)、心意気がかっこいい腕っぷしの強い男、っていうのが一番近いのかなあ。
そもそも、私が「男伊達」という言葉に出会ったのは、中学生の頃。
劇団四季の「CATS」でグロールタイガーの曲にあった「悪事の限りをやり尽くした のさばりかえってる 男伊達」だった。
厳密に言えば、これって歌舞伎で言う「男伊達」と違うんじゃないかと思うんだけど、言葉の変遷はどうなっているんだろう。
「任侠」という言葉も、昔と今と、そしてちょっと前と、意味がけっこう違っているんだけど、男伊達もそれに似た違いを感じてしまう。
つまり、アウトローな人間の扱いが違うんだろうと思う。
社会や文化によって、何を悪とするかが違っているせいで、ぴったりと理解することが難しい。
少なくとも、歌舞伎における男伊達に、アウトロー(脱法性)という属性は付随していても、(人間性における)悪人という属性はついていない。
現代ではアウトロー=ほぼ悪人として描かれるので、そういう間違いがこちら側にあるんだろう。
まあ、そんな色男、男伊達が主人公の悟助さん。
舞台は大阪の住吉大社から始まる。
ここがまたおもしろいところで、大阪なのに上方言葉ではなく江戸の言葉が使われ上演されている。
私はこういう演出が好き。
無理やり別の地域の言葉をしゃべるより、自分たちの言葉を使うのはとってもいいと思う。リアリティなんぞ知らん知らん。
以前に見た「夏祭浪花鑑」も舞台は大阪だったけれど、上方言葉ではなかった。もちろん、関西出身の役者さんなら上方言葉でぜひとも演じてほしいけれど、そうじゃないなら無理することはない。
その方が双方にとって幸せな気がする。
そういえば「夏祭浪花鑑」も住吉大社から話が始まっていた。
私は大阪というかほとんど京都みたいな場所に住んでいるので、関西では絶大な支持を誇っている住吉大社に行ったことがない。
でも、大阪に住んでる友達は住吉大社のことを「住吉さん」とめちゃくちゃ親しみを込めて言っているから、本当に愛されてる神社なんだなあと思う。
歌舞伎の演目で、住吉大社を見るたびに、こんなに以前から愛されているランドマークだったんだなあとしみじみしてしまう。
自分が知っている場所、よく通る場所が舞台になっていると思うと、ちょっとしたタイムスリップ感が沸き起こってくる。その感覚がなんだか好きだ。
話が逸れてしまった。
住吉大社でならず者どもを成敗した悟助は、そこで出会った二人の娘に惚れられてしまう。
翌日、それぞれの娘が結婚して欲しいとやってくる。
でまあ、いろいろあって、悪いヤツをやっつけて終わるっていう、ストーリーはそんなに重要じゃないお話。
でも、このかる~い話がイイ。
なんといっても役者をかっこよく見せるためのお話だからだ。それに楽屋落ち(内輪ネタ)のようなシーンもはさまれる。
うん。おもしろい。
歌舞伎には心中モノや仇討ちモノなんかの深刻な話も多いんだけれど、私はこういう人情話だとか色恋の話が大好きだ。
もともと、時代劇や歴史小説が苦手で、何の興味もなかった。
結局そういう話は、すべて戦いの話だったからだ。
挟持とか誇りとか恩義とか、そういうものをかけた切った張ったの世界というのは、現代人の私にはあまりに遠い価値観すぎる。
そこがイイというのもわかるけれど、私はどこまでいっても人間そのものにしか興味が持てない。
せせこましい人間の感情にしか、興味がないんだと思う。
そういう意味で、昔の風俗を描いた話はとても参考になる。
今に通じるものもあれば、通じないものもある。
今も昔も恋心には違いはないんだと思うことも楽しいし、まったく違う価値観であっても、自分の価値観を洗い直すきっかけになっておもしろい。
かっこいい男に惚れる娘の気持ちも可愛いと思うし、また当時の人がこの舞台を見て、こんな男伊達になって娘二人に言い寄られたいなんて夢を見ていたのかと思うと、それはそれで興味深い。