好きなものを好きなだけ

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京都ミライマツリ 南座 5月17日夜マツリ tofubeats (DJset)

十代目松本幸四郎の襲名公演、そして片岡仁左衛門のすし屋を見た舞台で、まさかDJ tofubeatsを初めてみることになるとは、去年の自分はまったく想像もしていなかった。

 

2017年頃から、どハマリしているtofubeats

CDを買い集め、公開されているyoutubeの音源なども聞いたりして楽しんでいたんだけれど、クラブにはどうしても行こうとは思えなかった。

というのも、かれこれ20年前。大学生になったばかりの頃に、友達に誘われ大阪のクラブに行った。

そこで、酔っ払った男に絡まれまくったことと、ソファで死んでるのかというぐらいぐったり倒れ込んだ(おそらくキメてた)女子たちを見たトラウマで、二度とクラブには行くまいと思ったからだ。

なんと恐ろしいところか。ここにいたらいずれは全身タトゥーとピアスで薬中になって死ぬ運命を辿るんだ…と、本気で思わされた経験だった。

クラブ音楽は大好きだったけれど、CDを買って、家でヘッドホン越しに聞いてニタニタしてるだけで十分幸せだった。

それはtofubeatsにハマった2017年においても、何にも変わらなかった。

 

 

クラブ音楽というのは、本来は表に出てこない音楽だったと思う。その場に行かなければ聞けない音楽が、クラブ音楽だ。

でも、2009年、The Black Eyed Peasの”I Gotta Feeling”が大ヒットしたおかげで、日本に暮らす引きこもりな私の元まで、EDMというジャンルにくくられて、様々なクラブ音楽が手の届くところに出現した。

それまで聞いたこともなかった、トランスとかディープハウスとかダブステップとかバウンスとかダーティーハウスとか、そういうジャンル名すら知らないような音楽が、10年前、私の元にあふれ出した。

いよいよ、私がクラブに行く必要はなくなった。

CDを買えば好きな音楽があるという状況に、私はずっと満足していた。ありがたいな~なんて思いながら、毎日EDMの新曲を探しては、ニタニタしながら聞いていた。

CD最高!生音なんて興味なし!ライブ感とか関係ない!と思っていた。そもそもDJが何をしているのかも知らなくて、私にとって音楽はどこまでいっても個人的なものでしかなかった。

 

 

ただ、ライブに興味を持ったのにはきっかけがあった。

電気グルーヴの30周年アルバムを聞いた時、アレンジの良さにびっくりしてしまったのだ。インタビューを読むと、クラブではこういうアレンジでずっとやっていたから、改めて録り直したというようなことが書かれていた。電気グルーヴのこれまでの音源は、あまり好みじゃなかったから、自分は電気の音楽を好きじゃないと思っていた。でも、アレンジが変わるだけでこんなに好きになるなんて、驚きしかなかった。

自分が知らないだけで、クラブでは毎日こうやって、いろんなアレンジが産まれて消えていってるんだろうなと思った。こうして煮詰められた音楽の一部が、商業ベースに乗って自分の元へ届いているのだと実感した瞬間だった。

いつか行ってみたい。そう思っていた矢先に、ああいうことが起こり、電気のライブに行くことはできなくなった。

まさかまさか。人生にはいろんなことがあるものだと思ったし、いいなと思った時に行かないと後悔することもあると知った。

 

そんな時、京都ミライマツリのイベントを知った。

南座でクラブイベントという、風変わりな企画。

歌舞伎芝居を行う南座を、若い人にも慣れ親しんでもらおうという主旨で開催されたクラブイベントだったけれど、私にとっては逆にありがたかった。

南座なら昨年何度か観劇に行って、見知った劇場だった。それに、あそこにはすごい酔っぱらいはいないだろう…と安心できたからだ。

それでも、クラブのことを知らない自分が浮くんじゃないか、若い人ばっかりだったら怖いな、みんな踊りまくってたらどうしようとか、色々考えた。

毎日、南座の夜マツリの様子を画像検索して、二階席か三階席から見れば安全そうだとあたりをつけて、勇気を出して遊びに行った。

 

結論から言うと、私はこのイベントに行って本当に良かったと思った。

 

まず、音量が違うと音楽の聞こえ方が変わる、という当たり前のことに自分がまったく気づいてなかったことを知った。

これまで流し聞きしていたtofubeatsのインスト曲は、なるほど、こうしてDJsetで使用することを視野に入れて作られていたのか!と、心底驚いた。こういう場では、歌入りの楽曲は浮いてしまうんだと知り、びっくりした。

決して歌入りも悪くないし、私も好きな曲はいっぱいあるし、お客さんも盛り上がりはするんだけれど、ああいう場では盛り上がりの方向性が違ってくるんだと思った。

 

DJがうまいってどういう意味だろう?と疑問に思っていたけれど、自分なりにうまさが何なのか、少しわかった気もした。

盛り上がりというのは、おそらく観客の呼吸コントロールのことなんだろう。音の速さや大きさ、リズムの間隔を調整して、人の呼吸を恣意的にコントロールし、気持ちよくさせていく。気持ちよさにも色々と種類があって、上がる系もあれば心地よい系もあり、楽しい系もある。それを組み合わせて、観客の感覚を思い通りに動かしていくことが、DJのうまさのひとつなのかなと推測した。

 

そして、単純に、自分と同じ音楽が好きな人がこんなに存在することに、私はとても驚いた。

学校でも職場でも、これだけ長く生きてきて、自分と同じ音楽が好きな人に私は出会ったことがなかった。ネット上で熱く語っている人はいるものの、現実には見たことがなかったから、南座のフロアで楽しそうに踊る人たちを見ながら、なんだか涙ぐみそうになった。

自分が好きなフレーズで、歓声が湧き上がったりすると、たまらない気持ちになった。

一体感とかバカじゃないの?と思っていたくせに、あんなに嬉しい気持ちになるなんて知らなかった。

この音楽のこの部分の音やばいよね!?とか、このリズムたまらないよね!?とか、私はそういうことを人と話したかったんだなあと思った。それが、観客の歓声ではっきりと、みんなそう思っているというのが伝わってきて、もう話さなくても大丈夫だなと思った。

 

ただ音楽が好きで踊っているだけの場というのは、不思議な心地よさがあった。会社員でも学生でもない、何者でもない自分が存在しているようで、クラブの空間は不思議だと思った。

きっと昔のインターネットに通じる匿名性の心地よさにも似ていて、何者でもない自分が、ただ好きな音楽を聞いて、誰とも知らない人が踊っているのを眺めているなんて、とても贅沢な気がした。

一人ひとりに生活があって日常があるんだろうけど、そういうのがすべて関係なくなる場があるということを、知った。

 

”I Gotta Feeling”のMVで、仕事のストレスを踊って忘れるという主旨の歌詞と映像があったけれど、私は「へえ~そういうもんか」と思いながら他人事のように見ていた。でも今日、あの場に行ってはっきりと実感した。

これがあれば、けっこう大変な仕事もこなせてしまうなと。

それが良いことか悪いことかは別として(個人的には大変な仕事はしない方が良いと思っているので)、日常のやるせなさを吹き飛ばす効力があるのだと体感した。

 

歌舞伎を見た時にも感じたんだけれど、自分の時間感覚を強制的に変化させられる感じがした。

些末なことが気になり、細かいことを考えてしまう切り替えの悪い脳みそを持った自分が、すべてのことが気にならなくなるという開放感を感じた。

それは目の前の現実が、極めて狭い視野の範囲のものだと教えてくれるようだった。

それが、ああいう空間の中で音楽を聞くだけで得られるというのは、なんとも不思議で、人間の脳みその謎だなあと思う。

 

爆音に馴染んだ耳のまま外に出たら、耳が敏感になっていたのか、それともバカになっていたのか、京都の街の音がやけに色々と聞こえだした。

いつもはうるさいと思う車の音や、人の話し声、靴音なんかが、ひどく愛しい音に聞こえた。

非日常を体験すると、日常がこんなにも愛しくなるのかと、これも驚きだった。

そして、自分にとって大切なものが何なのか、自分が好きなものは何なのか、そんなことだけがぐるぐると頭の中をめぐっていた。

 

 


The Black Eyed Peas - I Gotta Feeling (Official Music Video)