好きなものを好きなだけ

映画やドラマ、読んだ本の感想を、なるべく本音で好き勝手に書いていきます。コメントの返事はあんまりしないかも。

東海道四谷怪談 2019年9月 南座

念願の四谷怪談

関西では26年ぶりの上演。私にとっては初であり、生の舞台で鶴屋南北の作品を見るのも初めてだった。

 

私の初めての四谷怪談は1997年発行の京極夏彦の小説「嗤う伊右衛門」だった。怪談も歴史モノも苦手だった私が、人生で初めて読んだ時代物小説でもある。

京極夏彦が、定説となっている四谷怪談を読み替えるというのが、おそらくこの本の凄みだと思うのだが、いかせん私は元を知らなかった。ただただこの小説が好きで好きで、実際の四谷怪談とはどんなものなんだろうかと夢を膨らませていた。

歌舞伎などの四谷怪談と、京極小説はまったく違う、とは思ってた。けれど、想像以上に違っていたので、ここまで読み替えるなんて、京極夏彦ってすごすぎるなと改めて「嗤う伊右衛門」という作品が異質だったことを思い知った。

 

歌舞伎版を見て思ったのは、自分が「四谷怪談」を好きなのではなく「嗤う伊右衛門」という作品が好きだということだった。怪談話はどうも腑に落ちない。エンターテインメントとして楽しめない、という感覚だ。

私自身にコンテクスト(文脈)を読み解く力がないという問題もあるだろう。また、現代において数多くの物語を読み聞きした自分にとって、展開の面白味を感じにくいという問題もある。そうなると、どうしても役者の魅力で作品を見るしかなくなる。こういう状況だったので、ついつい役者の方へ、厳しい目が向いてしまった。

 

もともと、歌舞伎芝居というのは、物語(ストーリー)が主役ではなく、役者をより魅力的に感じるためのエンターテインメントだ。

愛之助伊右衛門は、悪くはない。でも魅力的かと言われるとそうは思わない。立ち姿もかっこいいし、顔もかっこいい。芝居も間違っていないと思うけれど、それ以上の何かがない。おそらく、好きになれないんだと思う。

妻に毒を盛る極悪な男の、どこに好きになる要素があるんだ、と思われるかもしれない。しかし、この色悪の代表である伊右衛門。彼がなぜただの悪役ではなく「色悪」と呼ばれているのか、という点を考えてみたい。

 

「色悪」は歌舞伎のキャラクター用語で、鶴屋南北が作り出したとも言えるキャラ類型だ。現代で言えば「地味っ子メガネ」とか「天然美少女」とか、そういう言葉に当たる。

辞書には、「外見が二枚目で性根が悪人」とか「表面は二枚目であるが、色事を演じながら、実は残酷な悪人で女を裏切る悪人の役」と書かれている。

これだけ聞くと、いわゆる「悪美形」か、と思わなくもない。美しくて悪いヤツ。そういう意味は多分にあるのだろう。ただ、私はこの「色」という言葉はただの「美形」を意味しているのではないと思っている。

「美しいもの=魅力的なもの」と考える人は多いが、それは決してイコールで結ばれるものではない。魅力的なものの一部に「美しいもの」は入っているが、美しいもののすべてが「魅力的なもの」ではない。

「色」は「色事」のイロで、性愛を含む恋愛の概念だ。そこには、現代で想像する恋愛とはかなり違った価値観があるだろうし、性愛を突き詰めた遊び(であり本気)なのだと思う。

民谷伊右衛門は悪い男だ。妻に毒を盛って殺し、死体を川に流したりする。でも、彼が「悪人」ではなく「色悪」なのは、見た目が良いという意味だけではなく、「好きにならずにはいられない」という点だと思うのだ。

こんなに悪いヤツなのに、目がそらせない、ついつい見てしまう。惹きつけられて魅入られてしまう。それこそが「色悪」なんじゃないかと私は思う。

観客は、悪に恋をしてしまう。だめだと思っているのに好きになってしまう。そういうジレンマを感じることがエンターテインメントなんじゃないだろうか。

だから、伊右衛門は魅入られてしまうほどかっこよくなければならない。それは見た目の美しさだけではない。人間的な魅力、思わず愛してしまいそうになる何かが見えなければならない。

そういう意味で、愛之助演じる伊右衛門はかっこよかったものの、魅力的ではなかった。ただの悪役に見えた。

七之助にしても中車にしても、また脇役の演者にしても、全体的に声がよくないのが気になった。壮絶なシーンが多いので、怒鳴り気味になるのは仕方がないのかもしれないが、一本調子なので飽きてしまう。声の強弱だけではなく、高低の変化でセリフを言って欲しいと思うところがあった。

演出に関してもメリハリの薄さが気になった。直助がお袖に横恋慕する前半のシーンは、もっと軽妙に、笑いが起こるぐらいの演出の方が良かったと思う。ほのぼのした日常から、突然、殺人のような陰湿なシーンに切り替わる方がショッキングだ。さっきまで一緒に楽しくすごしていた人物が、人殺しをしているなんて、とても刺激的だと思う。

 

鶴屋南北という人の作品を、あらすじだけでたどると、とても好きだなと思うのだけれど、いざ歌舞伎を見るとハマらないという、なんとも消化不良なことが多々ある。

役者が違ったり、演出が違うと、ガラリと意味が変わるのが舞台のおもしろいところでもある。いつか理想の南北作品に出会えるといいなと思う。

 

嗤う伊右衛門 (中公文庫)

嗤う伊右衛門 (中公文庫)