好きなものを好きなだけ

映画やドラマ、読んだ本の感想を、なるべく本音で好き勝手に書いていきます。コメントの返事はあんまりしないかも。

音楽の話。

友人と音楽の話をした。

そして、盛大にモメた。

 

そんな高校生みたいなケンカができるのは、ある意味で幸せかもしれない。

それは、私と友人が音楽に対して本気だったからだ。そして、お互いに理解したいと思いながらも、譲れないものがあったという証拠だ。

 

幸せなケンカだったと思うが、それでもぶつかった当日はなんだか苦しかった。

そしてお互いに、二日間ほど自分と音楽の関係を考えていたようだった。

 

私は、洋楽が好きで、ダンスミュージックが好きだ。

友人はメタルが好きで、今はアニソン系の曲をよく聞いている。

 

私が好きな音楽を友人に聴かせたところ、友人が烈火のごとく怒り出した。

いわく、音楽が排他的である、と。

クールであったり、かっこつけているという趣旨の話になった。

 

私は音楽をかっこいいとか、かっこわるいとかでは選ばない。選ばないが、ダサイと自分が感じる音楽は確かに好きではないかもしれない。

そういうスカした態度が、私の曲の好みから読み取られてしまったようだった。

 

おしゃれというのは、とにかく排他的だ。

それは希少性と言い換えてもいいかもしれない。

多くの人に愛され、支持されるものを人はかっこいいとかおしゃれとは思わない。それは大衆的(ポップ)と表現される。

とがっている(支持者が少ない)ものが、かっこいいとされるのがどうも世の常らしい。

だた、私が好きな洋楽は、アメリカやイギリスなどのチャートで見れば、めちゃくちゃ定番曲であるし、大衆的な曲が多い。自分としては「ベタなとこいってんな」という意識の方が大きい。

むしろ、ジャーマンメタルだ、北欧メタルだと言ってる友人の方が、よほど「とがっている」と私は思っていた。

 

そこから、日本の曲と海外の曲(この場合は主にアメリカで流行している曲と定義されていただく)の違いについて、二人で話し合った。

日本の曲の特徴は、その構成にある。

Aメロ→Bメロ→サビという、おなじみの構成だ。

海外ではあまり見かけないこの構成が、日本のポップスのほとんどすべてに当てはまる。

逆に、洋楽では、バースとコーラスと呼ばれる構成になることが多い。詳しくは検索してもらえばわかると思うが、イメージとしては、Aメロ→サビという感覚に近い。

 

この曲構成の違いは、サビへの盛り上がり方の違いに集約される。

丹念に前フリをつけて、ABと左右にメロディをフッて、サビで一気に盛り上がる。それがABサビ構成だ。

これは、観客との一体感が生まれる。ロックの場合は、BPMも早めで190前後。縦ノリで、全員でサビを目指す構成だ。

ロックは、開かれた音楽だと思う。それは音楽が、観客を必要としていると訴えているからだ。たとえ一人で聞いていたとしても、そこには何かしらの一体感がある。同じ場所を目指している一体感だ。

 

一方、ダンスミュージックはどうだろうか。私が好きなハウスやトランスなどのジャンルには、そもそもサビという概念がない場合も多い。

私は、とにかく短い小節がループされている構成がたまらなく好きだ。曲の始まりから終わりまで、ずっと同じフレーズが背後に流れているような構成が好きで、一種のトランス状態に陥る。繰り返される音楽を、さらにループして1曲だけを何時間も聞き続けたりする。

これは、閉じた音楽だと思う。誰も必要としていないのだ。

自分が気持ちよくなるための音楽と言い換えてもいい。

ダンスミュージックは、人を踊らせるための音楽だし、フロアにはある種の一体感がないわけではない。けれど、どこまでいっても個人的体験にしかなりえない感覚がある。

私は、ダンスミュージックのその冷たさが好きなのだと、友人と話していて気づかされた。

共感も必要なく、ただ自分が好きなものが何なのかを追求するだけ。

ほんの少し変わるコード進行や、ほんの少しの音色の変化、一瞬だけずれるリズム。そんなささいなものに身を任せる楽しさ。

誰に気づかれなくてもいい。自分だけが気づけば楽しい。それが私の音楽の楽しみ方だった。

 

だから、友人が私を排他的だと言った指摘は、ある意味で合っていた。

私は自分の好きな音楽を理解してもらいたいとは思わないし、説明しようともしていなかった。その態度そのものが排他的だった。

もちろん、わかってもらえないだろうという諦めもある。けれど、そもそもそれほど共感を求めていない。

人はそれぞれ違う。だから最大限の努力をして理解し合おうと言うのが友人だ。

人はそれぞれ違う。だから否定せずにただそのままを受け入れようというのが私だ。

 

私たちは、お互いに最善を尽くして相手を思いやっている。

けれど、ここまですれ違う。

 

どれだけ思いやっても、どうしても届かないものがある。

それはとても苦い。

でも、私は友人のことが好きだ。

こんな私に、ここまで根気強く付き合ってくれる人間はいない。

友人のためなら、私はたぶん自分の命など簡単に投げ出してしまう。

闘争心と向上心

おそらく生まれて初めて対戦型のゲームをやっている。

スポーツでも何でもそうだが、対戦がとても苦手で、人と戦うことが嫌いだった。それは負けず嫌いでもあるし、そもそも他人を倒しても嬉しい気持ちがない。どちらかと言えば、負けた側に感情移入してしまい、いたたまれない気持ちになってしまう。そして勝った側に感情移入はしない。

これはとても不思議なことだが、ネガティブな感情には接続するのに、ポジティブな感情にはあまり接続しない。おそらくネガティブな感情の方が危険度が高いと判断しているせいだろう。身の危険、精神の危険に直結するため、そちらに感度が向いていると思われる。

だから、スポーツを見ていても負けた側の悔しさやつらさを想像してしんどくなってしまうのだ。それは対戦ゲームをやっていても同じだ。自分が負かした相手が可哀想になってしまう。そして、自分が負けても虚しい。とことん対戦に向いていない性格だと思う。

けれど、向いていないからこそ、自分の中の探究心がわきあがってきた。私が本気で対戦ゲームをする場合、どんな思考回路になり、どんな感情になるんだろうか。そんなことが気になった。

ゲームを始めておよそ3ヶ月。基本的には、負けた側を見るのがつらいという気持ちは変わっていない。けれど、少しだけ変化があった。それは、負けるということをポジティブにとらえることができるようになったからだ。

操作や戦略がうまくなるために、様々な人のゲーム動画を見て勉強していたところ、「本気で勝ちにいって負けるときが一番成長している」という言葉を発している人がいた。

深夜にまどろみながらyoutubeの動画を流していて、その言葉が頭に響いて突然目が覚めた。その人は、負けることが大事で、負けないと成長しないと言い切っていた。スポーツや対戦ゲームをしている人には当たり前の感覚なのかもしれないが、なんだかすごい感覚だと思った。負けるということは、自分の欠点を見つめることに他ならない。こんなはずじゃなかったと、理想と現実の差がはっきりと見える。ふがいない自分を見せつけられるのはとても苦しい。

けれど、だからこそ課題がはっきりと見え、改善していけるとその人は言っていた。向上心の高さとポジティブな精神性が共存していて、すごいと感じた。おそらく私は対戦ゲームをしなければ、この感情には一生ならなかっただろう。

人と競い合うということは、こういう副産物を生み出すのだ。そしてそれは、やはり本気でなければならない。どうせ自分なんてと諦めてもダメで、あんなのつまらないとうそぶくのも違う。真正面から負けを認めて向上しようとする。闘争心は、そのためにあるような気がした。

幼い頃から勝負事が好きな人たちは、きっとこういう試行錯誤を繰り返していたんだと思うと、自分はまだまだ足元にも及ばない。

右と左の話

私は左右がわからない。

こういう人は意外と多いと聞く。左右盲と呼ばれる状態らしい。

左利きを無理やり右利きに矯正されるとなりやすいらしいが、私は左利きでもなければ、矯正された記憶もない。ただただ左右がわからない。

左右がわからないと言うと、たいてい驚かれるので、逆に左右がわかる人にはどうしてわかるのか聞くのが好きになった。

スポーツ、特に対戦型の競技をやる人は自然と左右が理解できるらしい。というのも、スポーツでは利き手・利き足がとても重要で、それによって戦略が変わるからだ。サッカー好きの友人は、対戦相手の利き足をどれだけ素早く見抜くかが、ディフェンダーに必要な能力だと言った。向かってくる相手が右にボールを蹴るか、左に蹴るかは重要で、それによって先読みするらしい。なるべく利き足ではない方で蹴らせることができれば、それだけ試合展開が有利に運ぶ。

なるほど、と納得すると同時に驚いた。友人は、日常生活でも左右を強く意識して生きているのだとわかったからだ。

 

左右という概念は、私の世界にはあまり出てこない。

それは、私が他者を意識して生きていないからだ。私は常に自分だけの世界で生きている。

自分ひとりの世界では、「右に曲がろう」と考えるのではなく「あっちに曲がろう」と思うからだ。右や左という言葉(概念)が必要になる場面とは、常に他者に何かを伝える場面なのだ。

右や左は、舞台の上手・下手のように固定された方向ではない。自分が180度回転すれば、左右が逆転する。

右や左という言葉が出てきた瞬間、私は<誰にとっての>右や左なのかがわからなくなる。私と他者が向かい合っていた場合、私の右は他者の左になる。

相手が、誰を基準に左右を発しているのか確定できないことで混乱してしまうのだ。

ただ、私にとっての右という概念がはっきりわかるかと言えば、それも曖昧だ。「お箸を持つ方」と言われてもピンとこない。なんとなく、左手でも持てるような錯覚があるからだ。右手80%、左手20%ぐらいの感覚がある。実際持てるか持てないかではなく、ただの感覚なのだが、この<左手20%の感覚>をとっさに無視することができない。できそうな気がすると、左右を確定させることに戸惑いが出てしまうのだ。

 

世界には、左右がない言語もあるという。オーストラリアの言語のひとつ、グーグ・イミディル語だ。

左右ではなく、東西南北で表現するという不思議な言語だ。けれど、この言葉は相対的な方向概念ではなく、太陽を中心とした絶対的な方向概念だ。理屈はこっちの方がわかりやすい。

入院

先日、親族が入院した。

家庭の事情というには、あまりにも個人的な話ではあるが、精神科への入院だ。10年ぶり4度目。ちなみに、別の病院に入院している親族もいる。どれだけ病人が多いんだと驚くが、私の三親等以内には精神病の患者が5人もいる。

いわゆる統合失調症双極性障害は、遺伝50%・環境因子50%と言われているが、私の家系の遺伝率はやばいんじゃないのかと常々思っている。幼い頃から、自分もいつか幻覚や幻聴に悩まされる日がくるのだろうとビクつきながら生きてきた。それはたぶん今でも少し心配だ。ただ、今のところ私には目立った病識はない。

私が、自分の見ているものを疑ってしまうのは、この生活環境に根ざしたものだ。私には幻覚は見えないが、親族はまるで当たり前のように、自分の想像した物語を私に話して聞かせる。

誰かが悪口を言っていたとか、家の中に誰かが侵入してきたとか、誰と会ったとか、そういったたぐいの話だ。妄想という種類だけで言えば、認知症患者の様子にも似ている。そして、話をしているうちに、それが現実にすり替わっていく瞬間を見てきた。自分の言葉で、自分の脳を縛っていく瞬間だ。

現実と妄想は、いったいどこで間違ってしまうのだろう。

彼らが現実を見誤り、私が現実を見誤らないのはなぜなんだろう。おそらくそんなに大きな違いはないのだと私は思っている。私もたくさんの勘違いをし、大きな間違いをし、日々妄想の中に生きている。現実などを決して知ってはいない。人間は極めて主観的な世界に生きている。私が赤いリンゴだと思っているものが、他の人にとっての同じ赤いリンゴだと証明できないように、私は私の主観でしか物事を見ることができない。

それでも、常識の範囲、つまり他者と共有できる範囲に主観が収まるのはなぜなんだろう。幻覚の区別のつかなさは、それほど強烈なものなんだろうか。今私が、「あなた、実は死んでるんですよ」と言われてもまったく信じられないのと同様に、彼らの妄想には強度があるのかもしれない。

1年ぶりの面接

仕事もなくなってきたので、適当な仕事でもやろうかと面接に行ってきた。時給1000円ほどの仕事だった。しかし、思いのほか厳しい雇用条件で、責任も重そうな仕事だったため早々に退散。

仕事内容と給料がまったく釣り合わないというのは、よくあることだと思うが、いまだにそれが続いていることに驚く。以前なら、それでもたぶん働いていただろうなと思うと、私もずいぶん適当になったなと思う。

やりたくないことはやらない。そんな当たり前のことを押し通せるまでに20年もかかるなんて、思ってもみなかった。

すべての努力が報われるとは思ってなかったが、それなりに判断されるんだと思っていた。けれど、仕事においての努力は、ただの搾取に変わってしまうことばかりだった。それもこれも、自分が交渉力に長けていないせいだった。まあ、交渉したところで、クビになるんだろうけど。

でも、不満を持ちながら働くことよりは、交渉してクビになる方が好きだ。そういう選択ができるようになった自分を褒めたい。

 

従順さ、というのはどこで獲得するものなんだろうか。

 

私は、学校教育に対して従順な生徒ではなかった。遅刻欠席は当たり前だったし、宿題もしていかない日の方が多かった。提出物は出さないし、単位も足りず、大学は留年に次ぐ留年だった。勉強が嫌いだったわけではない。むしろ、学問が好きすぎて、学校教育という場が合わなさすぎたのだと思う。本を読むだけで理解できることを、さらに授業で説明する意味がわからなかったのだ。教科書の知識をふまえて、議論や対話をすることが講義の本質だと(少なくとも大学では)期待していた。けれど現実は、論文が書けなかろうが、テストの点が悪かろうが、ただその場にいて出席しさえすれば、単位がもらえるシステムだった。その現実に、ひどく落胆した。あまりに退屈で苦しかった。そして、学校には行かずに家でゲームをするようになった。

 

教育とは、学問を学ぶ場ではないのだと気づいたのは、ずいぶん後になってからだった。毎日決まった時間に起き、決まった時間に通学し、極端な欠点のない能力を持つことが求められるのが、現実の教育だった。それは社会に出て、迷惑をかけずに従順に働くための準備だったのだ。

 

いわゆる普通の会社に行くと、私はいつもこの問題にぶち当たる。毎日会社に通うことが苦痛になってしまうのだ。それは、通うことそのものも苦しいのだが、むしろ、それを「当たり前」としている人々の価値観に苦しめられる。

家族よりも仕事を優先し、自分の待遇の不満も言わず、顧客に尽くし、会社のために働く人々の価値観が、怖くて怖くて仕方がなくなるのだ。

ある会社に勤めていた時、オフィスビルが大量に立ち並ぶ大通りを深夜に歩いていた。その時、私は急に涙が止まらなくなってしまった。ここにいたくないと、強く思ってしまった。泣きながら電車に乗ることが恥ずかしくて、私は3駅分の道のりをひたすら歩いて帰った。

あの日の夜景は忘れられない。

月明かりの中、まっすぐに立ち並ぶビルはきれいだった。舗装された道路にゴミはなく、整えられた街路樹が並んでいた。美しい景色だった。でも、ただ怖かった。なぜここで働けるのか、理解できなかった。

会社勤めは何度か経験したけれど、いつもこの感覚が襲ってきてしまう。でも私は、この感覚が特別だとはまったく思わない。

あのビルの中で働く多くの人が、私と同じような感覚を持っているんだと思う。仕事なんて辞めたくて仕方がない。そういう人はたくさんいる。誰にとっても素晴らしい環境は存在しないが、なるべく多くの善良な人が幸せになる世界の設計。そういうものを、実行はできなくとも、考えることだけはやめたくない。

 

やることがなくなった日常

2020年4月から、ほぼずっと自宅に引きこもりながら、ほそぼそと請負の仕事をしていた。それも年末あたりから業績悪化にともない、仕事がなくなってきている。どうしたものかと思いつつ、とりあえず未来のことは考えないようにして生きているが、どうにも何もやることがなくなった。

ゲームが好きなので、ほぼ毎日ゲームばかりしている。1日12時間ぐらいやっている。時々仕事が入ったらそっちをやるという、理想的な生活ではあるが、とにかくお金が続かないのが恐怖。かといって、外に出て仕事を探すわけにもいかず、どうしたもんかなーと思いながら、毎日やっぱりゲームをする。

未来さえ考えなければ、私にとっては幸せな日常だ。だから、できるだけ今の楽しみを見つめることにしている。何も考えずに家でゲームをしたり本を読んだり映画を見る毎日は、絶対に幸せだ。その幸せがたとえ終わるものだとしても、幸福を100%以上に感じたいと思ってしまう。こんなところも貧乏性かもしれない。

私はプレッシャーがかかると文章を書く癖がある。現実逃避の方法だからだ。初めて小説を完成させたのは、愛犬が病気で死にそうになっていた時だった。現実を見るのが怖くて、せめて空想の中で息抜きをして精神を保とうと必死になったのを覚えている。他のことを考えていないと愛犬のことばかりが頭に浮かんで怖くなってしまうからだった。つまり、このブログが発動しているということは、やはり精神的に追い詰められているんだろうと思う。

ただ、そういう状況も後から見返してみると、必死さにおもしろみがあったりするので、未来の自分のために書き残しておきたいと思う。

何かを作る時、いつも「恥ずかしくないもの」を作ろうとする癖がある。立派な話だとか、感動する内容だとか。でも、それは間違いだ。他人が見て「恥ずかしいな、こいつ」と思われるものこそが、見世物として価値がある。

深夜のラブレターは、もらう側は迷惑千万かもしれないが、それを遠くから見る人にとっては痛ければ痛いほどおもしろい。だから、ラブレターは深夜に書くべきだ。そして思い切り恥をかくのが素晴らしい。その瞬間にしか生まれないパワーがあるからだ。

このブログを立ち上げた時、なるべく本当のことを書きたいと思っていた。自分は他人に心の内をあまり見せないので、そういう見栄を取っ払ってみたいと思っていた。また哲学や学問が好きなことも、私の感覚では恥ずかしかった。気取った人間だと思われるのが怖かったからだ。けれど、自分は人間の生きる意味や、善悪や、社会のシステムに強い興味を持っている。解決能力があるわけではないが、ただ考えることが好きなのだ。そういう自分を、かつての配偶者以外には見せずに生きてきた。

現状、社会がどのように変わっていくのか、また自分がどうやって生きていくのかがまったく不明で、不安に取り憑かれつつある。結局、何をやっても不安なら、何も考えないのも手だと思ったりもする。

強い心、何があっても自分は大丈夫と思える自信は、人生を生き抜くための素晴らしい力だ。自信に根拠なし。それでいい。

私も根拠なき自信に満ちた人間になりたい。なるぞ。おう。どうにかなる。とりあえず今日もゲームをして遊ぶ。

悪夢を見るということ。

夢をよく見る。

私の場合は、淡くてくすんだ色合いの夢が多い。

夢の色は、記憶の色にとても似ている。過去の記憶が夢の中で再利用されているのか、それとも夢を過去の記憶のように勘違いしているのかはわからないが、とにかく夢と記憶はとても似ている。

 

ある人は、極彩色の夢を見るというし、またある人はモノクロの夢を見るという。現代人はおそらくカラーが多いんじゃないかと思う。それはテレビや映画の映像作品をよく見ているからだ。

だから、映像作品で見た映像を、自分の記憶と勘違いしたりする。もっといえば、自分の目で見た映像なんて、本当はたいしてないのかもしれないと思ったりする。

 

悪夢は、だいたいの場合決まったパターンがある。

私の場合は、とにかく試験に落ちたり、卒業できなかったり、仕事場でパワハラを受ける夢だ。これはほとんど現実に起こったことばかりで、そういう意味で夢だけれど過去の記憶みたいなものだ。

もう遠い昔のことなのに、ついさっき起こったことのように、現在進行形で起こり続けているかのように錯覚する夢は、本当におそろしい。

 

悪夢を見たあと、私は決まって自分の体を心配する。たとえば血糖値が乱高下するとリアルで苦しい悪夢を見ると聞いたことがある。どこまで真実かは知らないが、夢占いよりは私を納得させてくれる。

目覚めた瞬間、心が悪夢から離れない時も、体という現実を心配することに脳みそが切り替わるので、これはとても有効だ。

たいていの悪夢はそれだけのことで追い払える。けれど、時々忘れられない棘を、心に突き刺して消えていく悪夢がある。

疑惑のような夢だ。

今日の夢は、そういう夢だった。

別れた人の本心を知るという夢だった。

それが本当ではないと頭ではわかっているのに、私の疑念はどうしてもそこに戻ってしまう。こういう時、私は想像に殺されるような気がする。現実のその人ではなく、自分の頭の中で思い描く何かを、私の頭は信じそうになっている。それは想像に負けた状況だと思うのだ。

大げさな話に聞こえるかもしれないが、誰もが多かれ少なかれ想像には負けてしまう。思い込みだとか、疑いだとか、心配だとか、そういったものは現実の何かではなく、頭が勝手に考えたありもしないものだ。でも、人は簡単に想像に負けてしまう。

 

悪夢を見たあと、私は自分に対して強く思う。

想像には負けてはいけない。想像は自分の内側のもので、外側のものではないと。何度も何度も繰り返す。曖昧になった境界線を、くっきりと浮き上がらせるものは、現実の手触りや、誰かの声しかなく、急いで窓をあける。寒い冬の温度は、いつでも私を現実に引き戻してくれる。だから私は、冬がとても好きだ。