好きなものを好きなだけ

映画やドラマ、読んだ本の感想を、なるべく本音で好き勝手に書いていきます。コメントの返事はあんまりしないかも。

入院

先日、親族が入院した。

家庭の事情というには、あまりにも個人的な話ではあるが、精神科への入院だ。10年ぶり4度目。ちなみに、別の病院に入院している親族もいる。どれだけ病人が多いんだと驚くが、私の三親等以内には精神病の患者が5人もいる。

いわゆる統合失調症双極性障害は、遺伝50%・環境因子50%と言われているが、私の家系の遺伝率はやばいんじゃないのかと常々思っている。幼い頃から、自分もいつか幻覚や幻聴に悩まされる日がくるのだろうとビクつきながら生きてきた。それはたぶん今でも少し心配だ。ただ、今のところ私には目立った病識はない。

私が、自分の見ているものを疑ってしまうのは、この生活環境に根ざしたものだ。私には幻覚は見えないが、親族はまるで当たり前のように、自分の想像した物語を私に話して聞かせる。

誰かが悪口を言っていたとか、家の中に誰かが侵入してきたとか、誰と会ったとか、そういったたぐいの話だ。妄想という種類だけで言えば、認知症患者の様子にも似ている。そして、話をしているうちに、それが現実にすり替わっていく瞬間を見てきた。自分の言葉で、自分の脳を縛っていく瞬間だ。

現実と妄想は、いったいどこで間違ってしまうのだろう。

彼らが現実を見誤り、私が現実を見誤らないのはなぜなんだろう。おそらくそんなに大きな違いはないのだと私は思っている。私もたくさんの勘違いをし、大きな間違いをし、日々妄想の中に生きている。現実などを決して知ってはいない。人間は極めて主観的な世界に生きている。私が赤いリンゴだと思っているものが、他の人にとっての同じ赤いリンゴだと証明できないように、私は私の主観でしか物事を見ることができない。

それでも、常識の範囲、つまり他者と共有できる範囲に主観が収まるのはなぜなんだろう。幻覚の区別のつかなさは、それほど強烈なものなんだろうか。今私が、「あなた、実は死んでるんですよ」と言われてもまったく信じられないのと同様に、彼らの妄想には強度があるのかもしれない。