好きなものを好きなだけ

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闘争心と向上心

おそらく生まれて初めて対戦型のゲームをやっている。

スポーツでも何でもそうだが、対戦がとても苦手で、人と戦うことが嫌いだった。それは負けず嫌いでもあるし、そもそも他人を倒しても嬉しい気持ちがない。どちらかと言えば、負けた側に感情移入してしまい、いたたまれない気持ちになってしまう。そして勝った側に感情移入はしない。

これはとても不思議なことだが、ネガティブな感情には接続するのに、ポジティブな感情にはあまり接続しない。おそらくネガティブな感情の方が危険度が高いと判断しているせいだろう。身の危険、精神の危険に直結するため、そちらに感度が向いていると思われる。

だから、スポーツを見ていても負けた側の悔しさやつらさを想像してしんどくなってしまうのだ。それは対戦ゲームをやっていても同じだ。自分が負かした相手が可哀想になってしまう。そして、自分が負けても虚しい。とことん対戦に向いていない性格だと思う。

けれど、向いていないからこそ、自分の中の探究心がわきあがってきた。私が本気で対戦ゲームをする場合、どんな思考回路になり、どんな感情になるんだろうか。そんなことが気になった。

ゲームを始めておよそ3ヶ月。基本的には、負けた側を見るのがつらいという気持ちは変わっていない。けれど、少しだけ変化があった。それは、負けるということをポジティブにとらえることができるようになったからだ。

操作や戦略がうまくなるために、様々な人のゲーム動画を見て勉強していたところ、「本気で勝ちにいって負けるときが一番成長している」という言葉を発している人がいた。

深夜にまどろみながらyoutubeの動画を流していて、その言葉が頭に響いて突然目が覚めた。その人は、負けることが大事で、負けないと成長しないと言い切っていた。スポーツや対戦ゲームをしている人には当たり前の感覚なのかもしれないが、なんだかすごい感覚だと思った。負けるということは、自分の欠点を見つめることに他ならない。こんなはずじゃなかったと、理想と現実の差がはっきりと見える。ふがいない自分を見せつけられるのはとても苦しい。

けれど、だからこそ課題がはっきりと見え、改善していけるとその人は言っていた。向上心の高さとポジティブな精神性が共存していて、すごいと感じた。おそらく私は対戦ゲームをしなければ、この感情には一生ならなかっただろう。

人と競い合うということは、こういう副産物を生み出すのだ。そしてそれは、やはり本気でなければならない。どうせ自分なんてと諦めてもダメで、あんなのつまらないとうそぶくのも違う。真正面から負けを認めて向上しようとする。闘争心は、そのためにあるような気がした。

幼い頃から勝負事が好きな人たちは、きっとこういう試行錯誤を繰り返していたんだと思うと、自分はまだまだ足元にも及ばない。