江戸の骨は語る 著者:篠田謙一
岩波書店のTwitterをフォローしていたら、とても印象的な表紙が目に飛び込んできた。
「江戸の骨は語るー甦った宣教師シドッチのDNA」というタイトルの本だった。
くすんだクラフト紙のような色紙に、クロッキー風の人物画。そこに透けるような白い骨が描かれていて、とても素敵な表紙だった。イラストは、 菊谷詩子さんというサイエンス系のイラストを多く手がける画家のものだと後からわかった。
昔、ルイーズ・ゴードンの「人体解剖と描写法」というクロッキー用の画集を見た時、人物の顔から骨が透けて見える表現に、とても心惹かれたことを思い出した。久々に読み返したくなり、濃いオレンジ色の表紙だったと思いながら、本棚を探してみた。けれど、しばらく見つからず、捨てたはずもないのに…と思っていたら、本棚の真ん中にちょこんと鎮座していた。背表紙は白に見えるほど薄くなった朱色になっていて、自分の思い出の中の鮮やかなオレンジとはまったく違っていた。
この本を買ったのは、それほど昔のことじゃないのにと思っていたけれど、軽く十数年は経っていた。こういう経年劣化を目の当たりにした時、人は時の流れを実感するのかもしれない。
そして、この「江戸の骨は語る」も、そんな時の流れについての本だ。
2014年7月、東京都文京区にある切支丹屋敷跡から、3体の人骨が発見された。その1体が、新井白石がかつて尋問した宣教師シドッチの骨ではないかという疑問が浮かび上がった。
著者である篠田謙一氏の元に、その骨の人物を特定する依頼がやってくるところから本書は始まる。
篠田謙一氏は国立科学博物館の副館長であり、人類研究部長である。平たく言えば研究者なのだけれど、彼の書く文章がとにかくおもしろい。
骨の鑑定に関する、細かい研究の進め方やDNA解析の方法を記した本なのだが、私は、この本をちょっとした探偵小説のように読みすすめた。
古人骨がどこからやってきて、どのような行政区分によって仕切られているのか、また研究費用はどこから出ているのか。そんな細かいディテールが描かれているのが興味深い。
建築物を立てる際、その土地の下に遺跡が発見されると、工事がストップしてしまうという話を聞いたことがある人も多いだろう。
奈良や京都ではとにかく遺跡が多く出てくるので、見つけた発見者は「見なかったこと」にして遺跡を埋めてしまう、なんていう笑い話もあるぐらいだ。
しかし、その発掘費用が施工主負担だと知る人は多くない。私もまったく知らなかった。工事がストップするだけかと思っていたら、その費用まで加算されるとなると、遺跡を埋没させたくなる気持ちもわからなくもない。
博物館に持ち込まれる古人骨の多くは、そういう遺跡由来のものが多いのだそう。だから、東京オリンピックや都市開発などの大型公共事業が盛んになると、遺跡が発掘される確率があがり、仕事が忙しくなるのだという。
世間の景気に左右されるというのは、言われてみれば至極当然なことだけれど、考古学者と日本の景気を結びつけて考えたことがなかったので、なるほど、と妙に納得してしまった。
また、考古学者やDNA解析者の間(いわゆる業界内)で使われている言葉の説明も面白い。
骨を専門に扱う人々を「骨屋」と呼び、化石を見つけるのが得意な人を「骨運がある」と表現する。いかにも通っぽい、その呼び名に、なんとなくフィクションのようなおもしろさを感じる。連続ドラマなどで、考古学者兼探偵役のキャラクターが言ってそうな感じとでも言うんだろうか。
また、DNA解析を行う際、目的のDNA以外の別人(または別の生物)のDNAが混じりこむことを「コンタミネーション」と言うそうだ。
略して「コンタミ」。
しかし、コンタミと外国人が言うのを聞いたことがないので、おそらく和製英語だろうと著者は書いていた。
細かいDNA解析の説明の最初に、コンタミという和製英語について、さらっと書くサービス精神が、なんだか軽妙でおもしろい。
また、研究費用についてもさらりと教えてくれている。
コンタミを防ぐための、DNAフリーの(不純物が一切入っていない)水は18mlで3万円もするそうだ。
ただの水に3万円!?(いや、DNAフリーだけど!)
ワインボトル1本分の量に換算すると約240万円。
けれど、本を読みすすめていくと、3万円の水の価値がよくわかってくる。DNAを採取する苦労を考えれば、水3万円は絶対に必要経費だ。しかも18mlあれば1年分の研究に使えるそうだ。1年持つなら安いもんだ!…そう思えるほど、DNAの採取や解析は大変で緻密な作業だ。
でも、この本を読まなければ、(水に3万円って…もうちょっとどうにかなるんちゃうん??)と思っていただろう。
無知って怖い。
DNA解析を行うマシーンも次々と新しいものが開発されていて、数年前とは比べ物にならないほど進歩しているらしい。けれど、最新型はもちろん費用もかさむので、少し前の型落ち機材で対応しているという話も、自分が家電を買う時に悩む気持ちとそっくりだ。
考古学者の気持ちとリンクしてしまうのが、なんだかおかしい。
また、研究における守秘義務についても、筆者のボヤキがところどころ顔を出して、たまらない。
今回のシドッチの遺骨鑑定は、トップレベルの非公開設定になっていたようで、文京区が発表する報告書よりも先に、学会発表などは一切行えないという決まりがあったそうだ。通常は、出版は無理でも学会発表ぐらいは許されるらしい。
また、その報告書から二年以上経過しないと、本の出版もできないという徹底っぷり。だから、この本は2018年4月に発行されたが、研究自体は2015年7月に終了していたそうだ。
外に出せない研究は、外から見ればやっていないのと同じ。というわけで、著者の研究へのモチベーションがだだ下がるという一場面に思わず笑ってしまう。
また、記者発表の席でイタリア大使やキリスト教関係者の話が長すぎて、肝心の研究発表の説明が10分足らずしかなかったことを、ぼやいていたのも、あけすけな感じで良かった。
本の内容のほとんどは、人骨についてや、DNA解析についての細かい説明なのだけれど、ところどころ見える著者の人間性にひっぱられて、かなり難しい説明も読みたいと思わせられた。
著者と一緒に、シドッチの骨の解析を行う日常に引っ張り込まれたような錯覚が起こる、とてもおもしろい本だった。