フルーツ宅配便・最終話
明日は仕事で、寝不足になるのはわかっていたのに、『フルーツ宅配便』の最終話を見てしまう。
そして案の定、感想を書きたくなってしまう。
2019年冬のドラマの中でダントツで好きな作品だった。
デリヘル店長の話だから、ギャグ路線なのかと思っていたら、実はどシリアスな話で、毎回毎回、胸が締め付けられた。
こういうバランスは大好きだ。
ただ明るいだけでもなく、ひたすら暗いだけでもない。
悲しいことも楽しいことも、どっちも起こる感じ。すっきり割り切れない感じは、なんだか現実に似ている。
映画やドラマの虚構に現実を見るというのは、矛盾している気もするけれど、それはどこにリアリティを感じるかの違いのような気がする。
状況が嘘で、思考回路がリアルなら、それは超現実と呼べるんじゃないかとずっと思っている。
自分が本当に体験することはできないけれど、妙な実感を持って疑似体験する。それを勝手に超現実と呼んで納得している。
楽しむためのドラマ(虚構)がある横で、ヒリヒリするような現実を感じさせてくれるドラマ(超現実)がある。
フルーツ宅配便は、私にとってそういうドラマだった。
ストーリーはおおむね明るいギャグ路線で進んでいく。
オーナーのミスジさん(松尾スズキ)やマサカネくん(荒川良々)など、個性が強くて現実的ではないキャラクターたちが、平凡な主人公咲田くん(濱田岳)を取り囲んでいる。
咲田くんにとって風俗業は未知の世界で、別世界だ。
でもそこにいる人々は、決して別世界の人間ではない。
自分と同じ日常を送る延長線上に、その人たちは存在している。
咲田くんは、デリヘル嬢を真っ当な世界の人間として扱う。
そのことで、咲田くん自身が裏切られ傷つくこともあったけれど、それでも咲田くんは彼女たちを、どうしても助けようとしてしまう。
その普通さ、真っ当さが、驚くような輝きになって最終話で実を結ぶ。
それは、本当に小さな実で、それが実ったからといって、デリヘル嬢を救えるようになるわけではないし、何かが大きく変わるわけでもない。
でも、咲田くんの覚悟だけが違っている。
外側の世界には何の変化も(まだ)もたらしていないけれど、咲田くんの内側の世界は確実に変わっている。
咲田くんが変われば、それはやがて小さな変化を外側の世界にもたらしていくのかもしれない。
そう予感させてくれる希望のあるラストだった。
うまく練られた脚本だなと思うと同時に、それを可能にしている濱田岳と仲里依紗の演技力について、考えずにはいられない。
彼らの言葉、セリフの呼吸があまりにも自然で、本当にすぐ隣にいる誰かのように思えてしまう。
セリフがセリフに聞こえない。彼らが心からそう思ってしゃべっているようにしか思えない。
もちろん、シーンによっては芝居がかったセリフもあるんだけれど、最終話のラスト、港のシーンでのえみ(仲里依紗)は、彼女自身の言葉なんじゃないかって錯覚するほど胸に迫ってきた。
「一緒に苦しんでくれて」というセリフを照れ笑いを交えて涙声で言う彼女。
苦しいという言葉を素直に言うことは難しい。
本当に苦しい時ほど、人は苦しいなんて言えなくなってしまう。
自分の弱さをさらけ出すのは恥ずかしいし勇気がいる。
それでも、えみには咲田くんに伝えたい気持ちがあって、それが恋愛感情なんかではなくて、感謝の気持ちだというのが、あまりに素敵だった。
それを受けた咲田くんの「元気でね」の一言。
なんとなく、男の子のキャラクターなら「元気でな」って言いそうなのに、「な」じゃなくて「ね」。
この「ね」が濱田岳らしい甘やかで優しい響きを持っている。
夕陽に照らされた咲田くんは、髪もボサボサで、泣きそうな顔をしていて、なんだかかっこ悪い。
でも、ここでかっこいい顔をしないことが、最高にかっこいい。
デリヘル嬢というハードな世界で働く人々を描きながら、ラストにはほのぼのとしたエンディング曲が流れる。
このギャップがまたたまらない。
きっとこの曲を普通に聴いただけだったら、絶対に好きにはならなかった。
でも、この物語の最後に流れると、まったく違う印象になる。
良いものや悪いもの、正しいものや間違っているもの、優しいものや怖いもの、楽しいものや悲しいもの。
そういう色々な状態のバランスを、絶妙に配置して、三ヶ月楽しませてくれたフルーツ宅配便。
続編があれば見てみたい。
できれば幸せな彼らがみたい。
でも、それはなんだか嘘になってしまいそうで、やっぱり見たくないのかもしれない。