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X-MEN:ダークフェニックス


映画『X-MEN: ダーク・フェニックス』本予告【最大の脅威】編

 

仕事帰り、初日のレイトショーで見てきた「X-MEN:ダークフェニックス」。

本国のアメリカでは先々週に公開されて、オープニングの観客動員数がかなり少なく、収益は見込めないだろうというニュースが流れていた。日本でも、試写会のレビューがあまり盛り上がっておらず、これは危ないかもなあ…と不安な気持ちを抱えながらの鑑賞。

 

結果的には…うん…そうか…という感じだった。

私はX-MENが好きだったのか、ブライアン・シンガー監督が好きだったのか、よくわからなくなった。それは本来、分割されるべきものではないのかもしれない。

というわけで、X-MENの映画全体を語りつつ、今回のダークフェニックスについて書いていきたい。

 

まず、私がX-MENの何に一番惹かれていたか、という点。

 

アメコミ映画は、大きくわけでMARVEL原作とDCコミック原作がある。そのどちらも、映像化がさかんで、現在の映画業界ではアメコミは一大産業になっている。

 

MARVELは「アイアンマン」や「キャプテン・アメリカ」などが活躍する「アベンジャーズ」を制作している。アクションが派手で、勧善懲悪的な世界観があり、とにかくヒーローが活躍するタイプの映画だ。興行収入がすこぶる良く、現在の映画界でトップに君臨する作品群だ。

一方、DCコミックは「バットマン」や「スーパーマン」が活躍する「DCユニバース」。クリストファー・ノーラン監督に代表されるような、ダークでクライム・サスペンス色が濃い映画が多い。善悪が渾然一体となっていて、哲学的なテーマが見え隠れする。しかし、興行収入はイマイチで、バットマン以外はコケまくっている。

 

本当に大きなざっくりとした流れで言うと、MARVELはエンタメ系映画で、DCコミックはノワール系映画だと私は思っている。

 

X-MENシリーズは、MARVELに属していながら、DCコミック映画的な世界観を持つシリーズで、特異な位置にある映画だ。それはこのシリーズが、映画界でMARVEL帝国を築く前に制作された映画だったからだろう。

2000年に制作されたX-MENは、アメコミ映画が今ほど「当たる」と思われていなかった時代の映画だ。監督はブライアン・シンガー。「ユージュアル・サスペクツ」の監督で、未だにオチでびっくりする映画と言えば、この作品の名前があがるほど人気のある映画だ。

系譜で言えば、ブライアン・シンガーは明らかにDCコミック系の監督に近い。フィルムノワールを撮るのがうまいタイプの監督だと私は思っている。一緒くたにするのはどうかと思うが、クリストファー・ノーランやデヴィット・フィンチャーのような監督と属性は近い。

 

彼らのようなクライム・サスペンスやフィルムノワールを得意とする監督の特徴は、人間の脳領域の話を映画に混ぜ込んでくることだ。

今見ている現実は本物か、また本物の定義は何か。

自分は何者か、自分という人間は存在するのか。存在とは何か。

一貫して、哲学的で本質的なことを問いかけ続けるという軸がある。

90年代後半から2000年代にかけて、彼らが作り出す映画が大流行した。本来ならば、低予算で小難しい話になるはずのテーマを、エンターテイメントと融合させたのが、アメコミ映画のいち側面だと私は解釈していた。

 

X-MENは、そういうエンタメ系と哲学系の間の存在だった。ノーラン監督やシャマラン監督ほど難しすぎない、エンタメ系でもあるというバランス感覚が好きだった。

シャマラン監督の作品は、ストーリーの本筋に哲学的要素が食い込んでくるが、X-MENはストーリーには食い込まない。ただ、キャラクターの内面には、そういう匂いがついている。このバランスがいい。

深掘りしようと思えば掘れるキャラクター設定でありながら、それをスルーしても作品自体は楽しめるエンタメ性がある。観客に様々な楽しみ方を提供してくれる作品だ。

 

今回のダークフェニックスは、これまでのシリーズを担当してきたブライアン・シンガーの手を離れ、サイモン・キンバーグが監督をした。それが、どれほどの影響があったのかは、観客の私にはまったくわからない。製作や脚本、演出や監督、誰の意図がどこまでどのように反映されているかはわからないため、サイモン・キンバーグ監督のせいだと言ってしまうのは違うのかもしれない。

 

ただ、ブライアン・シンガーではなくなった結果、X-MENのキャラクターの中に存在していた一貫性が消えてしまっていた。

 チャールズは、これまでの彼とは思えない言動で人を傷つけ、最終的にはあっさりと改心する。改心することが悪いのではなく、あれだけ信念があり、エリックと対立していたチャールズが、そんな適当な理屈で考えを変えることがおかしい。善でも悪でもかまわないが、確固たる信念がないというチャールズはありえない。

ダークフェニックスが始まって1時間ほどは、これは新しいパラレルワールドで、チャールズが闇落ちする話なのか!?と期待したほどに、別人になっていた。

闇落ちなら闇落ちで、それを描ききればおもしろくなっていただろう。正義感に満ち溢れたプロフェッサーXの暴走を、逆にマグニートーが説得するという展開だったら、たまらない。

人の心が読めるプロフェッサーXが、人の心がわかりすぎるゆえの慢心から、人の心に真摯に向き合わないという欠点を持っていたとしたら。そう考えただけでもゾクゾクする。そういう展開にだって十分もっていけたはずだ。

ジーンの幸せを勝手に決めつけ、記憶を封じる。それにジーンが怒るという展開も、チャールズの闇落ちというラインで話が進めば納得できる。しかし、チャールズはただただバカな選択をしたというだけの適当な行動原理が見え隠れしていた。ご都合主義と言われても仕方がない。しかも、作中ではジーンの記憶を封じたとはっきり言っているわけではなく、過去に「何か」を封じたというような、非常に曖昧な説明で終わっている。

それが記憶なのか、ジーンの別人格なのか、それすらはっきり説明しない。そこが曖昧だと、ラストでジーンを説得する言葉が生きてこない。ジーンが何に怒っていたのかも、いまいち共感できない。それはチャールズが「何をしたか」をはっきり具体的に説明しないせいだ。

 

ラストに、チャールズがジーンを愛していたがゆえに嘘をついた、と納得するジーンだったけれど、その理屈で納得するなら、序盤にキレすぎだろうと思ってしまう。

エリックに至っては、ジーンを殺すぞ!から一転、守るぞ!に変わるのが早すぎる。「気が変わった」ってセリフがあったけれど、あれはあまり笑えない。本当に気まぐれに見えたからだ。レイブンを殺されて怒ってたんじゃないの???あれは何だったの???という気持ちになった。

 

物語の展開の犠牲になるキャラクターがいるのは仕方がない。すべてのキャラクターの一貫性を保つことは難しい。けれど、それは、主役やメインのキャラクターの一貫性を確保するための犠牲であって、すべてのキャラクターの一貫性が崩壊していてはいけないと思う。

これまでのシリーズでも、エリックは毎回、敵役を担っているために行動原理の一貫性が保たれていなかった。けれど、それはチャールズの引き立て役という側面があるからだった。良いことではないけれど、物語の制約上、仕方がないと思える範疇だった。

今回のダークフェニックスは、チャールズはもちろん、ジーンさえも一貫性がない崩壊した思考回路になってしまい、誰も得をしていない。

 

ブライアン・シンガーなら…と、どうしても考えてしまう。彼なら、もっとキャラクターを生かしてくれたんじゃないだろうか。けれど、セクハラ問題で訴訟を抱えているという残念なニュースも入ってきているため、もう彼が作る映画は見られないかもしれない。作品と製作者は別だという意見もよくわかるが、やはり事件が事件だけに(未成年へのセクハラは罪が深すぎる)簡単に復帰するのも間違っていると思う。もちろん、彼がそういう事件を起こしていないなら話は別だけれど。

 

あまりにモヤモヤしてしまい、どういう話なら納得できるだろうかと考えてしまった。

まず、チャールズの嘘について。

ジーンの父親が死んでいると嘘をついていたけれど、どうせなら、父親がジーンを何度も殺そうとして、それを阻止するために嘘をついた、ぐらいの重さが欲しい。

チャールズが隠したかった記憶は、「父親に何度も殺されかけた娘」という記憶だった、ぐらいの方がチャールズらしいと思う。

 

次に、上記をふまえて、ジーンの怒りの理由。

チャールズの愛は理解したうえで、それでも父親と話し合い、理解する時間を奪わないで欲しかった、と怒る。父親も生きておらず、再会が間に合わない方が良かったと思う。再会できたはずだったのに…というところでジーンの怒り爆発。

 

宇宙人の話は、あんまり大きくなくてよかったはず。出てこなくても話は成立する。

だって、これはジーンの心の問題という話だから。

 

細かいことを言い出すときりがないけど、ナイトクローラーが祈りの言葉を口にするシーンがないのもどうかと思った。

怒ってもいいし、牙を剥いてもいいんだけれど、怒った瞬間こそ祈りを唱えて神に許しを請うて欲しい。彼はそういうキャラクターだろう!

 

ここまで書いておいて、アレなんだけど、それでもキャラクターを無視して、映画として見た場合には60点ぐらいはある映画だと思う。

VFXが美しいし、とりあえず飽きずに見られるストーリーにはなっている。

 

ちなみに、ファースト・ジェネレーション、フューチャー&パストは名作なのでおすすめしておきます。