好きなものを好きなだけ

映画やドラマ、読んだ本の感想を、なるべく本音で好き勝手に書いていきます。コメントの返事はあんまりしないかも。

2019年7月のあれこれまとめ。

今月の読書。

・歌舞伎のびっくり満喫図鑑 君野倫子
・恋と歌舞伎と女の事情 仲野マリ
ちゃぶ台返しの歌舞伎入門 矢内賢二
・歌舞伎手帖 渡辺保

 

今月はあまり本が読めなかった。

近代文学のアンソロジー的な本も買ったけれど、まだ読めていない。

歌舞伎関連の本を、七月大歌舞伎の予習がてら読んだぐらいに終わった。

 

先月末に読み始めたマイケル・オンダーチェ著「映画もまた編集である ウォルター・マーチとの対話」は、なかなかのボリュームだったけれど、とても興味深い話が多かった。

映像編集者であり音響監督も兼任するウォルター・マーチの話だ。これまで映像編集者を、ただのフィルムカットする人だと思い込んでいた自分の認識が、どれほど間違っていたのか、この本を読んで驚かされた。

特に印象深いエピソードは、マーチが言及した「楽譜」の発明についてだ。音符や楽譜など、音を書き記す記号を手に入れたからこそ、音楽が発展していったという説。そこから、もしも映像を楽譜のように書き記すことができるようになれば、映像もまた飛躍的な発展を遂げるのではないか、と彼は言っていた。

映像を記号化する、という発想はとても不思議でおもしろい。私にはアイデアも浮かばないが、記号化・均一化されることで見えてくるものは多いのかもしれない。それはおそらく、概念の抽出や、形式の成立を意味するんだろう。

映像は、平面と時間という立体構造になっているので、人間の脳で映像そのものを扱うのには限界があるのだろう。簡略化された記号によって、時間だけ、平面の画像だけ、また両方をあわせた場合など、自由自在に行き来できる「楽譜」が存在すれば、いったいどんなものが生まれるのだろうか。想像するだけでワクワクするが、同時に脳みそもねじれそうだ。

 

今月の映画。

個別に感想を書こうと思って伸ばし伸ばしになっている作品がいくつかある。

中でも特に良かった作品が「Love, サイモン 17歳の告白」だ。

ゲイの高校生男子が、さまざまな要因でカミングアウトするまでを描く青春劇なのだが、ゲイをことさら珍しいことと捉えない脚本に、とても素晴らしいものを感じた。

これまでは、悲劇的な作品や、偉人の話、もしくはコメディで扱われるステレオタイプのゲイ描写が多く、どこか異世界のものとして描かれていたと思う。

けれど、この作品に登場するサイモンはごく普通の高校生男子だ。友達もいて、優しい家族に囲まれている。そんな彼の成長物語に、ゲイという要素が含まれている、という描き方だった。

青春映画であり、ラブコメでもある。数年後、また見返したくなる作品だった。

 

劇場に見に行った作品としては「天気の子」がある。

映像はキレイだが、映像ありきでストーリーを組み立てているため、筋に整合性はない。キャラクターの一貫性に関しては、最初から放棄しているのだろうし、そこを見せる気もさらさらない作品だと思う。

映画を見終わったあと、自分の何かが変わる、というのが大事だと思っているが、何がどう変わるか、というのは難しい問題だ。

主人公に都合の良い設定、主人公に都合の良い女子キャラクター、主人公に都合の良いエンディング。努力もせず泣きわめくだけで、成長したような気にさせる展開。

そういうものを見て、何を思うんだろうか。夢を見させる映画があってもいいが、幻想を増長させる映画があるのは、どうなんだろう。

エンターテイメントとは、嘘だらけだし、そこを批判するのは野暮だと思わなくもないが、どうにも胸がざわつく。

線引が難しいが、ラノベや漫画を批判しているわけではないし、エロゲや同人誌における幻想はアリだと思っている。そういう作品があることは大事なことだ。つまり、受け手がどういう気持ちで見ているか、ということが大事なんだと思う。作品が嘘だとか幻想だとか、はっきりとわかる状況で楽しむことはアリだと思う。

けれど、青春系アニメ映画、特にメジャー作品はその立ち位置が曖昧だ。萌えアニメ、しょせん絵だと割り切れない部分があると、個人的には感じている。

 

今月のドラマ。

ぶっちぎりでおもしろいのは「凪のお暇」だ。

黒木華主演、高橋一生中村倫也というタイプの違うイケメンの間で揺れ動くアラサー女子を描いているが、どのキャラクターも一筋縄ではいかない。

恋愛のすれ違いには、物語上の限界点があるが、キャラクターに二面性をもたせることで、素直になれない、不器用な恋愛を成立させてしまう設定に驚いた。

恋愛物語が成立しずらくなり、タイムスリップなどの不条理な条件を課すことで、恋愛のすれ違いを描かざるを得なくなった現代の物語で、それを使わずに、現実的な設定で不器用な状況に陥れるとは。見事だった。